うさぎ用品とケア専門店

utaと大久野島との出会い

この度、大久野島のうさぎさんたちのことを書かせていただくことになりました、うさぎ写真家utaと申します。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

はじめましての方も多くいらっしゃると思いますので、

私たちのことを少しだけ、お話させて頂きたいと思います。

大久野島との出会い

2000年4月、軽い気持ちで二人で大久野島へピクニックに行ったことが始まりです。

若かったです・・・(笑)

大久野島に行くまで、二人ともうさぎさんのことは好きでしたが、

今のように「大好き!」というわけではありませんでした。

ところが島でうさぎさんの姿を目にすると、一生懸命生きる姿に

「可愛すぎる!!」とあっという間に虜になってしまいました。

そこから2人で徐々に島に行くことが増え、ほぼ毎週通うようになりました。

その後、うたこの地元の熊本に引っ越してから10年以上経ちますが、

今でも毎月平均5泊ほど訪れていて、大久野島に通い始めて今年で20年になります。

可愛いうさぎさんたちの、イキイキとした姿を残したくて、ずっと写真を撮らせて頂いています。

大久野島のうさぎさんとの20年

思えば私たちの人生のほぼ半分を、大久野島のうさぎさんと共に歩いてきました。

20年通い続けた今でも、大久野島のうさぎさんには毎回色んなことを教えてもらっています。

自然の中で生きていくということ、厳しい環境だけどイキイキとしているということを

読んでくださる皆様へ、少しでもお伝えして行けたらと思っています。

一緒に暮らしていたうさぎさんに教えてもらったこと

最愛の娘:しろくまさん

私たちは「しろくま」といううさぎさんと9年と少しの間、一緒に生活をしていました。

しろくまさんは、皆さんにたくさん愛して頂いた幸せなうさぎさんでした。

私たちの仕事である、うさぎさんの撮影会にも「社長」として同伴していたんですよ。

しろくまさんの生活と大久野島のうさぎさんの生活とをリンクさせることで

うさぎさんのことがより深く分かったような気がしています。

 

ラビットラン

しろくまさんが産まれたのは、2009年6月ですが・・・

実はその前の2009年5月から「いつかうちに来てくれるかもしれないうさぎさん」のために

ラビットランを作り始めていました。

しろくまさんの「し」の字も出来ていなかったころ・・・

しかも、まだうさぎさんをお迎えしようという話すらしてなかったのに・・・

もしかしたらママのお腹の中から「ちゃんと作っておくんですよ」と、

私たちを導いていてくれたのかもしれませんね。

今、このラビットランの主はお星様になられましたが

ずっとお手入れを続けています。

うたライ

そんなしろくまさんのために、2012年から自家製のイタリアンライグラスを作るようになりました。

↑2012年初めての収穫

utaの作ったイタリアンライグラス→うたライ と呼んでいます☆

今は、イタリアンライグラスもうさぎさん用に販売されていますが、

当時は「牧草=チモシー」というのが常識で、私たちが知っている限りでは

ほんの数社のみが取り扱いをされていたと記憶しています。

しろくまさんは、牧草を食べなくて大変だったので(笑)

色んなものを試してきました。

そんな中、イタライは喜んで食べてくれたのです。

また、それまで10年ほど大久野島のうさぎさんを観察していて

自然界(大久野島)のうさぎさんは、乾燥した牧草を食べることは本来ないのに、

おうちのうさぎさんは「乾燥したチモシー」を主食として食べているということを、

ずっと不思議に感じていたので、生の食べ物(野草なども合わせて)

を食べてもらうことが大事なのではないかと思ったのもきっかけでした。

うたライを作り始めてから、うさぎさんの食への関心が高まったおかげで

しろくまさんも元気に過ごしてくれたのだと思っています。

そんな「うたライ」、今ではココロのおうち様でチャリティー販売をしていただいています。

皆さんに喜んでいただけて、しろくまさんも喜んでいると思います。

最後に

これまで、約13年前に始めたブログや各SNS、うさぎ専門雑誌様などで、

大久野島のうさぎさんの魅力や、起こっている問題などについてお話させて頂いてきました。

これからは、こちらのコラムでもお伝え出来る機会をいただけたので、

今まで以上に、私たちに出来ることを探していければと思っています。